g-kenknの日記

ボルネオ・peace・Memorial

ひねくれ者のあれこれ!

 年々スピードを増すように感じる時間歳月。今年ももう4月だ。これは、時は淡々と刻むのに、自分の意識や動作など諸々がが鈍くなるための錯覚らしい。例えば1日という決まった時間の中で、子どもの頃、若者時代などと今では全く違う。だが、頭の芯の記憶は若者時代のものだから、時が早まってきたように感じるらしい。相対的なずれ。超心理学的入口がこの辺にあるのかもしれない。兎に角不思議だ! 「時」というのは。

 ふと、よく出来ているなあと感心する。移動するのも立ったり座ったりするのも、随分ゆっくりになった。何をするにも時間がかかる。もどかしい。まぁ、これも良いではないか。ゆっくり立ったり座ったり。スクワットの真似事をして鍛えていると思えば良いわけだ。ちょっと姿勢を注意しながら朝も昼も夜もスクワット。

 若い頃からいろいろ失敗、挫折の連続だった。挫折は、しようと思って出来なかったこと。悔しいが、今となっては後の祭り。欲張りだから、あれもこれもと試みて挫折した。トランペットの音色に魅せられて学生の頃月賦で買った。今でいうローンだ。今も持っているが全く吹けない。英語もそうだ。幾つの教材を買ったことか!駄目な奴!と思う反面、自分が見えて面白い面もある。その思いの中できらりと光る何かがあるのも、今となっては面白く、なぜか自分が愛おしくなったり。親ばか的心境?のどかな春。

 

平和運動、こうして始まった!

 去年の7月、初めて徳島新聞の読者の手紙欄に投稿した。平和について、不戦という日本の道は確かか、今の日本は本当に平和かと問いかけた。そして武力によらない平和実現の願いを書いた。10日後、賀川豊彦記念館の運営委員である若松善英さんが共感の投稿をしてくれた。これをきっかけに鳴門市賀川豊彦記念館の集会室を会場に県内各地から毎月10数人が集まって意見を交わしてきた。

 まだ会則などはないが、会の名前は「世界平和の実現をめざす徳島の会」。今日の状況から未来に向けた展望の中で、賀川豊彦が目指した世界平和を目指す。戦争の悲惨さや犯罪性の追求だけでなく、政治家や有名人によるイベントに依存せず、一般住民の地域活動として活動する。賀川豊彦が大事にした自然や、彼の著書「少年 平和読本」の、動物たちの助け合いや自然の摂理、肉食動物や強いものの在り方、イソップ童話トルストイ童話なども取り入れながら、紙芝居とポスターを作り、県内の学校に持って行く。紙芝居は妻が、結構楽しく作ってくれた。スマホSNSを使わず、持って行き、話し手渡す。児童生徒と話し合える機会が出来ることを願いながら。

 賀川豊彦は牧師だが、紙芝居にキリスト教は一度も出てこない。平和運動に宗教や政治は不要。世界には様々な宗教や国家体制がある。世界の平和を願うのに、それらは時に邪魔になる。この事業を「平和の種を蒔き、育てるキャンペーン」と名付けた。

 

賀川豊彦に学ぶ

 一昨日と昨日、二日続けて鳴門市賀川豊彦記念館に行った。家から車で約40分、道一本で真っ直ぐ行けるから気分的にも近く感じる。一昨日は通称「平和の会」、今日は賀川豊彦勉強会の今年度最終回。勉強会の方は、全10回の内、体調が悪い日もあり7回しか参加できず、夫婦揃って修了証書こそ貰えなかったが、良い勉強になった。

 神戸で生まれた賀川豊彦は、幼くして両親と死別し、幼少年時代を徳島で過ごし、キリスト教の洗礼を受け、やがて東京の明治学院、神戸の神戸神学校で神学を学んだ。私が彼に強く惹かれるのは、彼が自然をこよなく愛したこと、そして、自分が様々な病に苦しみながら、21歳から神戸のスラムに入り、貧困者や病者など助けを必要とする人を誰でも招き入れて寝る場所のないものには自分の寝床を与え、寒さに震える人には自分の来ている衣服を脱いで与えるという、正に福祉実践が基本になっていることだ。欲得なく共に生きた。後に農民運動、労働運動、生活協同組合運動などを行い、社会運動家、社会改良家などと言われるが、私が彼に惹かれる最大のことは、彼の根っこが福祉実践者であったことだ。有名な彼の著作「死線を越えて」には、それが見事に淡々と描かれている。彼の基本にある"With"の姿が、やがて平和運動に向かう。

 前日の平和の会と彼の思いがつながるので、次回はそれを書きたいと思う。

 

 

 

 

感謝! 80歳になりました。

 何と80歳になりました。三叉神経痛で苦しんでいる友人と数年前に会った時、80歳までは生きたいねと話し合ったのを思い出しました。ああ、やっと来た!という思いです。私はSNSとかの関係がまるでダメ、妻に何度聞いてもその時だけ。自分でも情けないのですが、思いついたのがこのブログです。妻の写真付き発信(夫の誕生日)を見て下さった沢山の方たちから様々なお祝いメッセージをいただきました。嬉しいものですね。皆様に心からお礼を申し上げ、ここに少しだけ80歳の心境を書かせていただき、返信に代えさせていただきます。

 私は今、2種類の抗がん剤の世話になりながらも、元気です。もしかしたら癌が完治するんじゃないかと思うほどです。先月、担当医が初めて手術が出来るようになるかもしれないと言いました。肝細胞癌が大き過ぎて手術は無理と言われていたのですが、段々小さくなって今ある癌細胞も壊死している部分が大きくなってきているそうです。来週末CTの検査ですが、今は楽しみという心境です。

 それなら、この機会に新しい挑戦をしようと、畑の一角を区切って100㎡程を田んぼにして、5月初めに田植えをし9月に稲刈りをしたいと思っています。農薬等を使わない田んぼの稲穂が揺れている様を想像しながら、今は堤を造っています。もう一つの今年の願いは、地域活動としての平和運動をすることです。戦争の悲惨さや犯罪性ばかりを土台にしない、政治家や有名人のイベントに依存しない、私たち住民が日常的にかかわれる世界平和への願いを込めた活動です。これは、鳴門市賀川豊彦記念館の協力のもとに昨年から月例会で準備してきたものです。具体的な活動に、これからしたいと思っています。138億年前に生まれたと言われる宇宙の「生みの親」への親孝行は、平和な世界を創ることだと思うからです。いのち溢れる地球を、もうこれ以上破壊せずに平和を生み出すのが人類の使命ではないでしょうか。

 夢がいろいろあって困るほどですが、途中まででも良いから時間をかけて、という思いでじっくり行きたいと思います。このブログ、実は挫折の繰り返して、今回五度目の挑戦です。少なくとも毎週1回は書きたいと思っているのですが。

 コロナ禍の中、誕生日のお祝いをお届け下さった皆様に心からお礼を申し上げます。

今年も残り三カ月

 今年の内に、もう一度入院があるかもしれない。もしかしたら年内に、今使っている抗がん剤内服を止めて新しい抗がん剤の点滴になるかもしれない。そうなったら、新しくまた副作用との良い関係が生み出せるかどうか、全く分からない。不安だ。副作用は人によってずいぶん違うようだ。予想がつかない。祈る気持ちだ。

 が、どうやら年を越せることは確かなようだ。あと三カ月、事故もなく過ぎれば、大手を振って新しい年が迎えられるのだ。嬉しいことではないか。有り難いことだ。今年のどこかで、何かの異変が起こっても不思議ではないと思っていたのに、辛い思いもせず、世間は新型コロナで大騒ぎをしている中、無事にここまで来たのだ。医学の成果であり、多くのみんなの祈りのお陰だし、父や母や伯父や伯母や美穂ちゃんたち、また先立った友人たちなどのお守りによるのではないか。ウコンやニンニクやヨーグルト、ヒーリングなども疎かに出来ない力を発揮したのではないか。

 ならばこそ、この残り三カ月を充実したものにしなければ。山梨の講演がある。平和の種を蒔くキャンペーンが始まる。畑に既に秋冬野菜のいのちの種を10種類蒔いた。これを育てる。そのほかに思いも綴って本を書きたい!英語も聴きたい。大いに欲張って、新しい年への持ち越しとしよう!暮れに一年を振り返って何が言えるか、晩年の貴重な一年の最後の三カ月だ。

 

読了、「死線を越えて」

 若い頃から、賀川豊彦という社会運動家の名前は知っていた。その著書「死線を越えて」も度々聞いていたが、読む機会はなく今に至った。賀川が生まれたのは神戸だが、彼の実家は徳島だったと知ったのは私がこの地に来てからで、偶々私が徳島新聞の読者の手紙欄に平和について投書したのがきっかけで、鳴門市にある賀川豊彦記念館の運営委員をしている人が私の投書に意見を述べられ、新しい平和運動の連絡先として記念館が協力して下さることになった。

 そんな縁で読む機会を得た「死線を越えて」。彼の原点は社会運動家ではなく、福祉実践者だったという発見があり、私は今興奮している。多分大正の初期、彼が20代中頃に書かれたこの小説は、彼の自伝的要素を多く含んでいると言われる。主人公新見栄一は、自ら貧民窟に飛び込み、極貧の人、病人、アル中と思しき人、障害のある人、行倒れ、みなしご、‥誰であれ助けを求められれば拒まない。明らかに犯罪者であっても、彼は受け入れ自分の場所(家)に招き入れる。服がない人には自分の服を脱いで着せ、寝る場がなければ自分のせんべい布団に入れる。今流にいえば、福祉ニーズのある人を分類するのではなく、全て受け入れ、全力で出来る助けをする。正に実践の原点、文字通りの"With"なのだ。体験がなければ書けない貧民窟の描写は圧巻という他ない。字数が尽きたから止めるが、何れ再び機会を得て書きたい。(9月14日記)  

診察日、病院に行ってきた!

 どんどん日が経つ。歳と共に時間が速くなると思っていたが、どうもそうではないらしい。歳と共に体の動きも頭の回転もスローダウン。時間は淡々と同じペースなのに、相対的に時間が過ぎるのを早く感じるのだ。納得!

 という訳で、すぐ書くつもりが、もう一昨日のことになってしまった。今週の月曜日は徳島大学病院だった。阿波の家から車で1時間。車の運転を止めた私は妻の運転する車で8時半に出発、9時半に病院に着いた。2か月前は物々しかった病院入口の警戒が今回は割合スムーズ。自動で検温、何も異常がない旨各項目に既にチェックされた用紙に異議がなければ、その紙を手渡される。自動で受付を済ませ、採尿、採血の部門に行き、順番を待って採血。採血のプロ中のプロの看護師が10人程いて、名前を確認しながら手際よく進める。

 検査結果が出るのに約1時間。診察予約時間は12時。少し遅れて担当の斎藤先生が呼んでくれた。検査結果をみながら、抗がん剤の効果は続いていますね、副作用とか何か不安はありますかと問われ、前回と同じ体が怠いこと声がかすれることなどを伝える。来月はCTを撮りましょう、今の抗がん剤の効果が顕著でなくなったら、新しい抗がん剤が間もなく承認されるので、安心していて良いですよ、実は秋の学会で発表が予定されているので、あなたのケースをと思っています、良いですかと問われ、どうぞどうぞと答える。良い事例だそうだ。嬉しい!妻と一緒に喜んだ。(9月10日記)