g-kenknの日記

ボルネオ・peace・Memorial

[先ず、阿波の里から]

   暮らし初めて数ヶ月、はっきり言ってホッとしている。赤道直下のマレーシアで永年暮らしてきた私が、日本の冬を美事乗り切れるかは、私にとって結構深刻な不安だった。北海道生まれだから大丈夫と強がりを言ってきたものの、実は数年前に2月に一時帰国した折、関空についた途端に風邪を引いて酷い思いをした経験があるので内心はある種の覚悟というか、事態の推移によってはある種の覚悟を決めていた。が、ホッとしているというのは、何とか切り抜けた、と言う意味である。

   徳島と言っても私の家は徳島市内ではない。徳島の市街から直線距離で約30㌔、列車徳島線各駅停車で丁度1時間、車で走っても1時間の場所だ。地図で分かり易いのは、吉野川の河口から真っ直ぐ流れに沿って西に向かえばよい。吉野川に流れ込む大久保谷川の手前を右に曲がり、あわけんこう福祉センターの直ぐ隣が我が家だ。田園地帯、南には高越山の雄々しい姿、北側には讃岐山脈が走っている。その中ほどを広い川幅で吉野川がゆっくり流れている。

   マレーシアでは毎日100キロ以上を車で走っていた私は、日本に戻って来るに際して、自動車の運転を止めることにした。運転免許証は持っている。マレーシアに戻った時運転出来ないと滞在中の行動が大いに制限される。私の50万キロを超えた愛車が修理屋さんで待っていてくれるのだから。が、日本では運転を止めた。人ような時は妻が運んでくれるという。駅まででも、徳島まででも、思い肥料などを買う時でも。それ以外の時は自分の足で歩く。郵便局、スーパーマーケット、世話になっている家庭医の医院、吉野川の河原、大体片道15分から20分で行けてしまう。空のリュックを背負って、コイン精米屋さんに時々米糠(コメヌカ)をもらいに行き、背負って帰ってくる。畑仕事をしたり、歩いたりは、自分の健康状態を知るのにとても良い。体調が良く分かる。どこかがちょっと気になったり、歩幅が小さくなっていたり、息が切れることがあるが、今のところ12000歩位まではどうもないようだ。ちょっと歩き方が遅くなったかなと思って歩数計を見ると15000歩を超えていたりする。

   辺りを見ながら歩くと良いことが沢山ある。何と言っても景色が落ち着いている。遠く南の山が東西に連なり、北の山々も東西に折り重なっている。そして目の前には、稲を刈った後の田んぼ、芽が出てきた野菜畑、畝をたてたばかりの畑、もう大きく育っているのはブロッコリーだそうだ。毎日毎日畑の顔が違う。久し振りにと追う道だと、えっ、もう?と言うくらいに野菜の育ちの速さを感じたりする。大きい耕耘機や、名前も知らない大きな機会がドンと入っていたりする。畑を過ぎて農家の庭先には様々な花が咲いている。阿波市はコスモス栽培を促進するため助成金を出しているそうで、時期になると素晴らしいコスモス一面の景色が見られる。コスモス以外にも様々な花々、そうそう、農家の庭先や裏手には果物の木も多い。枇杷の時期からイチジク、柿、マレーシアで好んで食べたポーメロみたいな、でもあるはずはないから、大きな夏みかんだろうか?スダチがあちこちになる。

   別に時間を決めてウオーキングをしているのでなく、朝でも夕方でも用事があって歩くのだから、距離も方向も日によって違う。車を使わずに歩くことの良いことは、人と出会うことであろう。この、阿波町の住民だけかどうか分からないが、会う人がみんなにこやかに挨拶してくれる。ただ「おはよう」とか「こんにちわ」と言うだけだが、これがどうしてこんなに心地よいのだろう。すれ違う時でも、農作業の手をちょっと休めて「おはよう」と微笑んで貰うと、こちらも同じ言葉を返しながら、新参者でも受け入れて貰えているんだと、何だか認められたような思いが染みてくる。そして朝早くでも夕方でもそうだが、登下校の中学生の挨拶は何とも気持ちがよい。自転車で追い越して行く時、徒歩ですれ違う時、男の子でも女の子でも、おおきなこえで「こんにちは」と挨拶する。こちらも返しながら顔がほころんでくる。

    

   ちょっと寂しいのは、何もない畑だ。ところどころに、ただ雑草が生い茂り、今は誰もかまってないんだなという感じの畑がある。雑草の野原も良いのだけれど、折角畑にしてあって、如何にも放置というのは淋しいものだ。そんなのを見ると、よからぬ妄想がよぎる。実際、そこに青々と野菜が茂ったり、稲が育ったり、或いは果物の木が実をつけたらどんなに良いだろうなどと、もうそれが実現したような絵が浮かんでくる。そうだ、ゴトンロヨンだ!イバン族仕込みの共同作業の発想だ。畑が喜ぶゴトンロヨンを呼びかけるとなると、地主さんは? 作業は地元? どこかに大学生に声をかける? 宿泊は? 慣れない作業で汗をかき、バーベキューの良い香り、溢れた笑顔が友情を育む・・・この辺りで止めておこう。夢を見るのは楽しいのだが、夢のままがよいこともあるのだ。

   私はこんな、素敵な阿波の里にいつか、「ムヒバ」のメンバーを連れてきたいなあと、これも大きな夢を見ている。