g-kenknの日記

ボルネオ・peace・Memorial

フィロミナ、13歳

 

 近づいていった私たちを、彼女は顔の前に手を出してギャッと奇声を発し後退さりしながら迎えた。近寄るな!という意思表示であったと思う。13歳と言っても身体は小さく、一見した感じは4. 5歳の幼児のようだった。彼女は、ロングハウスの長い廊下の中程に造られた木の柵の中にいた。日本でいう一坪くらいの広さだ。一日中を此処で過ごす。飲むのも食べるのも排泄も。だからちょっと臭いがする。その中で格子に掴まって彼女は居たが、我々が数人で近づくと先に書いたように、外来者から身を避けるように奇声を上げた。父親と母親は畑仕事があるので、もっぱらおばあちゃんがフィロミナの世話をしていた。お漏らしの始末も衣服を取り替えるのも食べるのも飲むのも、全部彼女がしていた。周りの他のおばさんたちは、時々は排泄の後始末を手伝ったりする。他の時間は作の近くで、おばさんたちはおしゃべりを楽しむ。

 この木の柵は、彼女が自分で床を這って移動出来るようになって間もなく、ロングハウスの男たちが集まって造ったそうだ。大人が見ていない隙に外に出たらジャングルに迷い込む。そうすると探しようがない。偶然に出会う以外に見つかる術がないので、生命の安全確保のためにこの柵を作ったのだそうだ。

 これから始まるデイセンター「ムヒバ」の話は、彼女と出会ったことから始まる。だから初めに、此処はどこか、ロングハウスとは何かを説明しよう。

 場所はマレーシアのボルネオ島、州でいえばサラワク州。州都クチンからは飛行機だと30分、車だと5時間ほどのシブの空港から車で40分くらいのバワンという村である。ボルネオ島はさまざまな少数民族が暮らしていて、マレー系や中国系より少数民族の比率が高いといわれる。その中で多数派はイバン族で、街に働きに出ている人や高学歴で州政府などで地位を得ている人もいるが、多くは村で暮らしている。村では、ロングハウスという長い家に住んでいる。日本の長屋と同じだという人が居るが大分違う。似ているのは建物が長いというだけで、構造の考え方も全然違う。長さ50メートルのロングハウスもあるし、300メートルというのもある。そこに住んでいるのは一族の人たちである。5家族の場合もあるし50家族の場合もある。そして最大の特徴は、各戸は全て共用の廊下で繋がっているということだ。廊下の幅は狭い場合でも3㍍くらい、私のロングハウスは全部で16戸、長さ100㍍余、廊下の幅は7㍍だった。(私は一族ではないが、一族の長の兄弟分と言うことで名前を貰い、1戸を建て増したのである。)この廊下が、会議室にもなるし宴会場にもなる。雨の日の屋内作業場になったり、意外と涼しい廊下は暑い日中の昼寝にも格好の場所である。子どもたちには遊び場、イベント会場など、万能の廊下といえる。時に猛々しい自然に中で身を寄せ合って暮らしてきたイバン族の暮らしの知恵が生んだ住居携帯である。

 サラワク州で最も長いラジャン河の支流であるバワン川沿いには沢山のイバン族のロングハウスがあるが、その一区切りを「バワン地区」もしくはバワン村と呼んでいる。そのバワンのロングハウスのひとつ「ルマ ジョセフ ラウィン」という約80メートルのロングハウスの廊下の中程にフィロミナの木の柵があったのである。彼女のお祖父ちゃんはそのロングハウスの長(トアイ ルマ)で、フィロミナについて、孫は何も出来ない、身の回りのこと、しゃべること、何かを訴えることも出来ず、勿論学校に行けない。ただ不服の時うなり声を出すだけで、食べることさえ出来ない。どうしたら良いか分からない。何とか出来ないか、と切実な訴えであった。即座には何も言えなかった私だが、心に期するものがあった。彼は、出来る協力は何でもする、だから考えて欲しいと言い、分かった、彼女にとって何が良いか考えてみると私は言い、別れたのだった。