g-kenknの日記

ボルネオ・peace・Memorial

この子たちは、どう生きるか ②

   開設への準備

 

 団体の認可は、既に2006年9月に下りていた。しかし、日本のように施設の運営費が国や州から支給されるという制度はない。運営が続けられるかどうかの不安は拭えないものの、開設しなければ何も始まらない。このままではフィロミナは、障害を外に出ることなく、おもちゃで遊ぶこともなく、友だちも出来ず、ひたすら人が来ると脅えて人生を終えることになってしまう。彼女の体形からしたら、いつ何が起こってもおかしくない。早くしなければ。このデイセンターの名前は、「ムヒバ」と決めた。「ハーモニー」のマレー語もしくはイバン語はないかと探したが、ぴったりする語は見つからなかった。そこで、ハーモニーの意味に最も近い「ムヒバ」をセンターの名前にした。さまざまな音やさまざまな色が程よく自己の味を出し合うことで新しい色合いや音が生まれる。此処に集う障害のある人も職員も誰もが、程よく自分の味が出せるセンターにしたい、此処から新しい音色が響いたら素晴らしいじゃないかとの思いを込めたのであった。

 建物の完成が迫った2007年9月から利用者リストをつくり、職員の募集を始め、利用者の面接計画を立てた。利用者面接は個別にロングハウスを訪問した。職員面接は出来たてというかまだ仕上げ中の「ムヒバ」で行った。

 開設当初の利用者は4名、募集職員は直接のケア職員2名、送迎の運転手1名、守衛2名であった。2ヶ月後には給食のパート職員1名が加わった。現在では事務職員も加わり、スーパーバイザーも独立してスタッフは8人体制、利用児者は25名になっている。2008年1月28日が実際に始まった初日である。昼食の給食はなく、短時間の試運転のようだったが、フィロミナもちゃんとお祖母ちゃんと一緒に通ってきていた。半月後の2月14日