g-kenknの日記

ボルネオ・peace・Memorial

世界の平和を目指す③ (本当に「優しさ」が本質?)

 平和の種を蒔いてその芽を育てよう!平和の種は「優しさ」だ、と書いた。人間の基本は優しさで誰もが持っていると書いた。だが、現実には人を憎んだり、嫌ったり、あの人さえいなければと思ったり、嫉妬したり裏切ったり、虐めたり、いろいろと良くない面を持っている。そっちの方がむしろ人間の本質ではないか、などと思える時がある。だが、ここが大事なところだ。よくよく考えてみると、それらの思いをもちながら心充ちてはいないということだ。それらは常に悲しみや切なさ、やりきれなさ、辛く苦い思いの原因があって、その裏返しなのではないかと思う。少なくともそこには快感はない。虚栄や妬みの思いに導かれた心の貧しさに根差しているのではないか。

 優しさが一番の基本というのは、誰でも常に心の芯のところで与えたかったり、得たがっている「愛」に一番近いのではないかと思うからだ。求め愛し合うことによってこの世に生を受けた「いのち」が、その、自分では呼吸しか出来ない状態でこの世に生まれ出た「いのち」が、まず最初に出会うのが人の「優しさ」なのであって、未熟であるにもかかわらず生き続け育つのはすべて優しさのお陰なのだ。だから私は、「優しさ、思いやり」が人間の基本と言えると思う。地球上のどこの地であれ、何時であれ。