g-kenknの日記

ボルネオ・peace・Memorial

賀川豊彦に学ぶ

 一昨日と昨日、二日続けて鳴門市賀川豊彦記念館に行った。家から車で約40分、道一本で真っ直ぐ行けるから気分的にも近く感じる。一昨日は通称「平和の会」、今日は賀川豊彦勉強会の今年度最終回。勉強会の方は、全10回の内、体調が悪い日もあり7回しか参加できず、夫婦揃って修了証書こそ貰えなかったが、良い勉強になった。

 神戸で生まれた賀川豊彦は、幼くして両親と死別し、幼少年時代を徳島で過ごし、キリスト教の洗礼を受け、やがて東京の明治学院、神戸の神戸神学校で神学を学んだ。私が彼に強く惹かれるのは、彼が自然をこよなく愛したこと、そして、自分が様々な病に苦しみながら、21歳から神戸のスラムに入り、貧困者や病者など助けを必要とする人を誰でも招き入れて寝る場所のないものには自分の寝床を与え、寒さに震える人には自分の来ている衣服を脱いで与えるという、正に福祉実践が基本になっていることだ。欲得なく共に生きた。後に農民運動、労働運動、生活協同組合運動などを行い、社会運動家、社会改良家などと言われるが、私が彼に惹かれる最大のことは、彼の根っこが福祉実践者であったことだ。有名な彼の著作「死線を越えて」には、それが見事に淡々と描かれている。彼の基本にある"With"の姿が、やがて平和運動に向かう。

 前日の平和の会と彼の思いがつながるので、次回はそれを書きたいと思う。

 

 

 

 

感謝! 80歳になりました。

 何と80歳になりました。三叉神経痛で苦しんでいる友人と数年前に会った時、80歳までは生きたいねと話し合ったのを思い出しました。ああ、やっと来た!という思いです。私はSNSとかの関係がまるでダメ、妻に何度聞いてもその時だけ。自分でも情けないのですが、思いついたのがこのブログです。妻の写真付き発信(夫の誕生日)を見て下さった沢山の方たちから様々なお祝いメッセージをいただきました。嬉しいものですね。皆様に心からお礼を申し上げ、ここに少しだけ80歳の心境を書かせていただき、返信に代えさせていただきます。

 私は今、2種類の抗がん剤の世話になりながらも、元気です。もしかしたら癌が完治するんじゃないかと思うほどです。先月、担当医が初めて手術が出来るようになるかもしれないと言いました。肝細胞癌が大き過ぎて手術は無理と言われていたのですが、段々小さくなって今ある癌細胞も壊死している部分が大きくなってきているそうです。来週末CTの検査ですが、今は楽しみという心境です。

 それなら、この機会に新しい挑戦をしようと、畑の一角を区切って100㎡程を田んぼにして、5月初めに田植えをし9月に稲刈りをしたいと思っています。農薬等を使わない田んぼの稲穂が揺れている様を想像しながら、今は堤を造っています。もう一つの今年の願いは、地域活動としての平和運動をすることです。戦争の悲惨さや犯罪性ばかりを土台にしない、政治家や有名人のイベントに依存しない、私たち住民が日常的にかかわれる世界平和への願いを込めた活動です。これは、鳴門市賀川豊彦記念館の協力のもとに昨年から月例会で準備してきたものです。具体的な活動に、これからしたいと思っています。138億年前に生まれたと言われる宇宙の「生みの親」への親孝行は、平和な世界を創ることだと思うからです。いのち溢れる地球を、もうこれ以上破壊せずに平和を生み出すのが人類の使命ではないでしょうか。

 夢がいろいろあって困るほどですが、途中まででも良いから時間をかけて、という思いでじっくり行きたいと思います。このブログ、実は挫折の繰り返して、今回五度目の挑戦です。少なくとも毎週1回は書きたいと思っているのですが。

 コロナ禍の中、誕生日のお祝いをお届け下さった皆様に心からお礼を申し上げます。

今年も残り三カ月

 今年の内に、もう一度入院があるかもしれない。もしかしたら年内に、今使っている抗がん剤内服を止めて新しい抗がん剤の点滴になるかもしれない。そうなったら、新しくまた副作用との良い関係が生み出せるかどうか、全く分からない。不安だ。副作用は人によってずいぶん違うようだ。予想がつかない。祈る気持ちだ。

 が、どうやら年を越せることは確かなようだ。あと三カ月、事故もなく過ぎれば、大手を振って新しい年が迎えられるのだ。嬉しいことではないか。有り難いことだ。今年のどこかで、何かの異変が起こっても不思議ではないと思っていたのに、辛い思いもせず、世間は新型コロナで大騒ぎをしている中、無事にここまで来たのだ。医学の成果であり、多くのみんなの祈りのお陰だし、父や母や伯父や伯母や美穂ちゃんたち、また先立った友人たちなどのお守りによるのではないか。ウコンやニンニクやヨーグルト、ヒーリングなども疎かに出来ない力を発揮したのではないか。

 ならばこそ、この残り三カ月を充実したものにしなければ。山梨の講演がある。平和の種を蒔くキャンペーンが始まる。畑に既に秋冬野菜のいのちの種を10種類蒔いた。これを育てる。そのほかに思いも綴って本を書きたい!英語も聴きたい。大いに欲張って、新しい年への持ち越しとしよう!暮れに一年を振り返って何が言えるか、晩年の貴重な一年の最後の三カ月だ。

 

読了、「死線を越えて」

 若い頃から、賀川豊彦という社会運動家の名前は知っていた。その著書「死線を越えて」も度々聞いていたが、読む機会はなく今に至った。賀川が生まれたのは神戸だが、彼の実家は徳島だったと知ったのは私がこの地に来てからで、偶々私が徳島新聞の読者の手紙欄に平和について投書したのがきっかけで、鳴門市にある賀川豊彦記念館の運営委員をしている人が私の投書に意見を述べられ、新しい平和運動の連絡先として記念館が協力して下さることになった。

 そんな縁で読む機会を得た「死線を越えて」。彼の原点は社会運動家ではなく、福祉実践者だったという発見があり、私は今興奮している。多分大正の初期、彼が20代中頃に書かれたこの小説は、彼の自伝的要素を多く含んでいると言われる。主人公新見栄一は、自ら貧民窟に飛び込み、極貧の人、病人、アル中と思しき人、障害のある人、行倒れ、みなしご、‥誰であれ助けを求められれば拒まない。明らかに犯罪者であっても、彼は受け入れ自分の場所(家)に招き入れる。服がない人には自分の服を脱いで着せ、寝る場がなければ自分のせんべい布団に入れる。今流にいえば、福祉ニーズのある人を分類するのではなく、全て受け入れ、全力で出来る助けをする。正に実践の原点、文字通りの"With"なのだ。体験がなければ書けない貧民窟の描写は圧巻という他ない。字数が尽きたから止めるが、何れ再び機会を得て書きたい。(9月14日記)  

診察日、病院に行ってきた!

 どんどん日が経つ。歳と共に時間が速くなると思っていたが、どうもそうではないらしい。歳と共に体の動きも頭の回転もスローダウン。時間は淡々と同じペースなのに、相対的に時間が過ぎるのを早く感じるのだ。納得!

 という訳で、すぐ書くつもりが、もう一昨日のことになってしまった。今週の月曜日は徳島大学病院だった。阿波の家から車で1時間。車の運転を止めた私は妻の運転する車で8時半に出発、9時半に病院に着いた。2か月前は物々しかった病院入口の警戒が今回は割合スムーズ。自動で検温、何も異常がない旨各項目に既にチェックされた用紙に異議がなければ、その紙を手渡される。自動で受付を済ませ、採尿、採血の部門に行き、順番を待って採血。採血のプロ中のプロの看護師が10人程いて、名前を確認しながら手際よく進める。

 検査結果が出るのに約1時間。診察予約時間は12時。少し遅れて担当の斎藤先生が呼んでくれた。検査結果をみながら、抗がん剤の効果は続いていますね、副作用とか何か不安はありますかと問われ、前回と同じ体が怠いこと声がかすれることなどを伝える。来月はCTを撮りましょう、今の抗がん剤の効果が顕著でなくなったら、新しい抗がん剤が間もなく承認されるので、安心していて良いですよ、実は秋の学会で発表が予定されているので、あなたのケースをと思っています、良いですかと問われ、どうぞどうぞと答える。良い事例だそうだ。嬉しい!妻と一緒に喜んだ。(9月10日記)

新聞の読者欄への投稿がきっかけで

 今年7月から今日までに、徳島新聞の読者の欄に4回投稿した。3回書いた時思った。単に暇を持て余すマニアと思われるのも嬉しくない。しばらく投稿は止そう、と。ところが数日後、「9条改正しないことが恐怖」の題で、「日本の軍備増強が必須」、「早急に核を持つ議論も避けて通れない」という内容の投稿が載った。黙っておれず、やや意に反して4回目の投稿をし、同意できない旨を書き、抑止力平和主義の罠にはまってはいけないと書いた。何人かから電話があり、妻の友人からはハガキが来た。「早く反論を書いてくれないかと待っていた。嬉しかった」と書いてあった。

 この夏、平和とは一体何かをずっと考えてきた。豊かな自然の中で心豊かな暮らしを願いながら、人類はなぜ自然を破壊し、人を殺し、自分だけ生きようとするのか。人は一人では生きられないのに。

 そこで辿り着いたなのは「優しさ」だった。その思いを自分に語りかけるブログに何度か書いた。この機会にこれを公開しようか。出来れば多くの人に読んでいただき、平和への思いを一緒に育てたらどうか。

 そういう訳で、この1か月余りに書いたものを少し手直しして「世界の平和を目指して」と題して公開します。引き続き、折々の思いや、平和への取り組みの経過を書きたいと思っています。お読みいただけたら、またご意見をいただけたら嬉しいです。

 今日、超大型台風10号が接近中です。海水温の高さが超強力に影響しているとか。海水温はオゾン層破壊の故でしょう。被害が少ないように、祈るしかありません。

世界の平和を目指す⑤ (具体的には何をするのか?)

 

 私が今考えている活動は、以下の三点を特徴とする。①戦争の悲惨さ、犯罪性など、を土台にしない、②政府、大組織、有名人などによる署名、大会開催でなく、自分たちが実際に動く運動、③グローバル、スピーディを良しとする時代だが、地域性、個別性、ゆっくりをモットーとする。名付けて「平和の種を蒔いて育てるキャンペーン」。

 活動としてはまず、ポスターを制作する。数種類を用意する一方、徳島県内の全公立図書館、幼稚園、保育所、小・中学校、高校、大学、専門・専修学校等(合計827)に公共機関(郵便局、裁判所、福祉施設、病院、医院、自動車教習所等)を加え約1,500か所の名簿を作成。個々に訪問、趣旨を説明し、ポスターを手渡しする。この手渡しを、「平和の種を蒔く活動」と位置付けてタイムスケジュールを作り、じっくり行う。

 徳島県内に、平和の種がまんべんなく撒かれたら、徳島新聞にも協賛していただき、県民の声として盛り上げる。ポスターには、”挨拶何人できたかな?””ありがとうはいえたかな?””今日も親切いっぱいできた?”などを書き込み、学校ごと、地域ごとで発表会、交流討論会などをする。狙いは、心づくり、雰囲気作り。アイディアを募り、楽しい「優しさ」キャンペーンに繋げる。他県との情報交換や交流、国外とのやりとりも。先ずは口コミで、手渡し人を募る課題。経費は、クラウドファンディングを検討中。